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大垣編②曽根町点描

2021.09.13(月)
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栗田一三

曽根町は大垣市の北端に位置し、その東には揖斐川支流の平野井川が南北に流れています。ここは戦国時代に曽根城が築かれ、また江戸時代には郷土の偉人、梁川星巌・紅蘭夫婦が誕生するなど歴史的文化的な史跡が残る町です。

現在、曽根城跡は公園として整備され市民の憩いの場となっています。

また曽根町の東に築かれている大島堤は桜並木の名所として知られており、桜の時期には多くの人々が訪れます。

大島堤サイクリングロード

ここは大島堤サイクリングロードのスタート地点です。

大島堤は曽根城跡公園から南へ津村町までの約4kmがサイクリングロードとして整備され、道の両脇には桜並木が幾重にも植えられて春には見事な桜のトンネルが続きます。

また、堤側面に春にはヒナゲシ、シャスタ―デージー、秋にはコスモスなどが咲き誇り、訪れる人の目を楽しませ、夏は木々で木陰となり涼しく過ごせるため一年を通して楽しめる場所となっています。

曽根神社

大島堤沿いにある曽根神社。由緒由来は不明ですが、本国神明帳に稲葉一鉄信仰崇神神社とあります。

曽根神社の社殿にはサルの彫り物があり、一説に左甚五郎の作とうわさされています。わざわざ見物に来る人もあります・・・との話を聞きました。

長屋門

長屋門の白壁と石垣と水路をまたぐ石の橋が現代風の母屋と見事にマッチしていたので思わずシャッターを!

梁川星巌邸趾

幕末の漢詩人であり勤王の志士でもあった梁川星巌は1789年ここ大垣市曽根町で誕生しました。

漢詩人、梁川(張)紅蘭は梁川星巌の妻、1804年に曽根で生まれました。

14歳の時、従兄星巌が開いた塾「梨花村草舎」で漢詩を学び才能を開花させていきました。

円徳寺

円徳寺は明智光秀の姉、照子が嫁いだお寺です。

梨畑

梨畑が母屋を取り囲むようにあるので、住環境がとても良いと思った

地下水の豊富な曽根地区では、美味しい水をたっぷり受けて育つ甘くてみずみずしい梨が栽培されています。

曽根城跡公園

曽根城跡

曽根城は戦国時代、稲葉一鉄により築かれたと言われています。

一鉄は土岐氏、道三から三代斎藤氏、織田信長と代々、時の美濃の権力者に仕え西濃地方で勢力を持っていました。

華渓禅寺

華渓禅寺は稲葉一鉄が母親の菩提寺として建立したもので、1734年に曽根城の本丸跡へ移転されました。

梁川星巌は7歳の頃からここで勉学に励み、めきめきと学力を向上させました。

19歳の時、江戸で学問を学び、1817年曽根に還り、私塾「梨花村草舎(りかそんそうしゃ)」を作り子供たちに習字や漢文を教えました。

梁川星巌記念館

華渓寺境内にある梁川星巌記念館に星巌直筆の漢詩や書簡が展示されています。

庚申像

庚申信仰は中国より伝来した道教に由来していると言われています。

人の体内に三尸の虫がいつもその人の悪事を監視していて庚申の日の夜に天帝に報告し、罪状によっては寿命が縮められるため、60日に一度巡ってくる庚申の日は人々が集まって寝ないで夜を明かす庚申待ちが流行し、各地に庚申塔(像)が建立されました。

この庚申像は1800年梁川星巌が両親を亡くした12歳のおり、祀った石像です。

梁川星巌、紅蘭夫妻像

『勤王の漢詩人 梁川星巌』(清水進著)

出典:月刊西美濃わが街2007年6月号

現在、郷里の中学校が星巌の名前にあやかって星和中学校と命名されている。我々はいま改めて星巌の偉大な足跡を振り返り、その偉業を後世に語り伝えたいものである。(清水進)

●慷慨・・・世の中の不義、不正や自己の運命を憤り嘆くこと

●如意の日・・・思いが叶う吉日

●三体詩・・唐の詩人167人の作を七言絶句・七言律詩・五言律詩の三体に分けて編んだ書

●菅茶山・・・江戸時代後期備後(福山)の儒者、詩人。私塾黄葉夕陽村舎(後に郷校廉塾)を開き、その名は全国に知られた。星巌が訪ねた時は75歳。その時、九州豊後(日田)の廣瀬淡窓を訪ねることを勧めた。

●廣瀬淡窓・・・名声の誉れ高い咸宜園を開き、全国64国3000人の門弟を教えた。高野長英・大村益次郎らの逸材も含まれている。星巌が訪ねた時は40歳

●小野湖山・大沼枕山ら・・・明治の詩壇を担う文人たち

●草莽・・・在野

●区区・・・価値が低い様、取るに足りない様

●堂上方・・・昇殿を許された人

堤防決壊地の石碑

文化十二年(1815)にも破堤して、池ができたとありますが、梁川星巌がその2年後の文化十四年(1817)にこの地に「梨花村草舎」を開きました。

曽根の池

約6.200㎡もある曽根の池(瀬古池とも呼ばれる)はブラックバスが生息おり、釣りを楽しむ事が出来ます。

ハリヨの池

湧き水などの綺麗な水にしか棲まないハリヨが生息する池。

ハリヨは滋賀県北東部と岐阜県西南濃地方にのみ分布している希少魚であり曽根町のハリヨは市の天然記念物に指定されています。

斉藤内蔵助利三屋敷跡石碑

斉藤利三は稲葉一鉄の家老でしたが、のちに明智光秀の家老となり本能寺の変に参加、山崎の戦いで光秀とともに敗れました。

斉藤利三は一説には、稲葉一鉄の娘と結婚し、お福(のちの春日局)が生れたと言われています。

春日局ゆかりの地石碑

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栗田一三