歴史

弥次さん喜多さん、中山道を旅する①

2017.08.01(火)

こんにちは! 吉本新聞舗です。日頃弊社より新聞をご購読頂いている お客様はご存じの事と思いますが、毎月1回、地域の歴史を中心とした「吉本新聞ミニコミ」をお届けして10年になります。

このたび、ホームページを開設することとなり、今一度ミニコミの記事を振り返り、ブログという形で綴っていこうと思います。

さて、今回はあの東海道中膝栗毛で有名な、弥次さん喜多さんと中山道との関わりについてお話をしていきたいと思います。(紙版ミニコミ番号:第77号/H25.6発行)

中山道は多くの歴史上の人物が通った道だった

吉本新聞舗はかつての中山道美江寺宿にあり、 お店の前を中山道が通っています。

中山道は江戸時代、家康によって作られた五街道の一つ、京と江戸を結ぶ約530キロメートルの道で、古くから都と東国を結んでいた東山道を基にしています。

この道を、和宮、伊能忠敬、浪士隊(新撰組の前身)、吉田松陰、 東山道鎮撫隊、明治天皇等が通り、そして、古くは織田信長が 岐阜城から西へ天下統一に向けて何度も往復しました。

また、十返舎一九、歌川広重、貝原益軒など多くの文化人がこの道を旅していて、彼らの作品から当時の中山道、宿場町、旅の様子を知ることができます。

今回のミニコミはその中で、当時、庶民の間で多く読まれた十返舎一九の滑稽本のうち中山道編にあたる続膝栗毛についてのお話です。

十返舎一九といえば、東海道中膝栗毛ですね。その続編にあたる続膝栗毛がある事はあまり知られていません。なぜ続編ができたのでしょうか。

東海道中膝栗毛は弥次さん喜多さんの珍道中物語です!

東海道中膝栗毛(1802~1809)

十返舎一九作

ひょうきんな2人組、弥次郎兵衛と喜多八が、 江戸を発って伊勢詣でをし、その後、京都大阪見物をする物語です。

2人が道中次々に巻き起こすドタバタとユーモア溢れる内容が描かれており、 江戸庶民の間で大ブレイクします。

この物語、当初は初編(江戸~箱根)で終わるはずが、 8年間に8編18冊(~京、大阪)の発刊となる大ヒット。これにより、弥次さん喜多さんの旅はさらに続き、続編誕生へと繋がっていきます。

東海道中膝栗毛には続編があった

その続編の名前は「続膝栗毛(1810~1822)」です。

この続膝栗毛では、東海道を江戸から京へ旅した2人(ここまでが東海道中膝栗毛のお話)が引き続き四国の金毘羅、 宮島参詣をし、中山道を通り善光寺参り後、 草津温泉に寄って江戸に戻るまでの物語が描かれています。

東海道中膝栗毛の発刊から20年に亘るロングベストセラーとなり、 江戸庶民の旅ブームの一因ともなりました。

十返舎一九(1765 ~1831)

彼はもう一つ「方言修行金草鞋」(むだしゅぎょうかねのわらじ)という旅物語を書いています。彼のこれらの作品から見ると、地名、名所などが詳しく記されていて、実際に取材の旅をしながら書かれたものだということが良くわかります。

人柄については、一九は、弥次さん喜多さんの明るさとは正反対の、気難しい性格だったと言われています。

面白い物語を描く人だからさぞ、面白い人だろうと、ある人が一九の取材旅行の費用を負担するかわりに一緒に旅に出たそうですが、一九があまりにも無口で偏屈だったため、途中で一人帰ってしまったそうですよ。

気難しい顔をしてあのひょうきんなドタバタ劇を書いていたと思うとそのギャップに驚かされます。

続膝栗毛の中で巻き起こす珍道中物語、この地域に関する部分を次回からとりあげてみたいと思います。

次回は弥次さんが赤坂宿あたりで偽物の銀貨をつかまされるお話です。

 膝栗毛とは、膝を馬に見立てて、自分の足で歩いて旅をするという意味です。

弥次さん喜多さん中山道を旅する②へ