歴史

織田信長の美濃侵攻 前半

2022.06.18(土)

信長による美濃侵攻(1556~1567年)

1556年 斎藤道三と子義龍の間で勃発した長良川の戦いに、信長は、義父道三の援軍として美濃へ進軍しました。

その後、1567年稲葉山城の戦いで美濃を攻略するまでの9年間、信長は何度も美濃を攻めますが、一進一退を繰り返します。

前半は清須城から西美濃方面への侵攻を、後半は小牧城から東美濃を攻めました。

大良河原の戦い(1556年4月)

信長、道三の援軍で大良に出陣

大良河原で義龍軍と激突

信長、戦いの途中で道三討ち死の報を受ける

信長、清須城へ撤退

西美濃を攻めるも義龍軍強し!!(1560年)

6月

信長は桶狭間の戦いで勝利した勢いで安八郡へ侵攻。多芸・池田・大垣より義龍軍に攻められ、兵を引き揚げた。

8月

信長、再び安八・多芸方面へ侵攻。この時も義龍軍により攻められ引き揚げた。

翌年5月

信長が美濃攻めに成果を上げられずにいる中、翌年5月11日義龍が急死。その子龍興(14才が後を継ぎます。これを好機にと信長はわずか2日後に再び侵攻を開始しました。

森部の戦い~軽海の戦い(1561年)

森部の戦い

5月13日

信長、清須城から出陣。西美濃の勝村(現・海津氏平田町)に布陣。

5月14日

その動きに対し、義龍軍、雨の中を洲の俣(現・墨俣)より出兵。森辺(現・安八町森部)へ向かう。それを見た信長軍も森辺へ向かい戦いとなる。

この戦いで信長軍が勝利、洲の俣の砦を奪ったと思われます。さらにこの頃、十九条にも城を築き、織田信益を置いたとされています。

軽海十四条の戦い

5月23日

井ノ口(現・岐阜)より重視上へ龍興軍出兵。

信長軍が洲の俣から十四条へ向かい戦いとなる。龍興軍優勢で軽海に戦いの場は移り、夜まで続き、最終的に龍興軍は撤退。

この後も一進一退のため信長が美濃を攻略するのにはこれからまだ数年を要します。

※この戦いは翌年だという説もあります。

続く