歴史

美濃国の下剋上

2021.09.30(木)

下剋上

身分の下の者が上の者より実力で権力を持つことで、南北朝時代から戦国時代に多く見られました。

美濃の下剋上

1480年美濃文明の乱

(斎藤氏家督争い)

斉藤妙純×斎藤利藤

船田合戦

(土岐氏家督争い)

8代守護成頼が嫡男政房ではなく、末子元頼を後継にしようとしたことから家臣も2分しての争いとなります。

土岐政房
斉藤妙純
×土岐成頼
土岐元頼
石丸利光

1494年船田城と加納城の間で争いが勃発

1495年正法寺の戦い

成頼は敗れた後、隠居し政房は家督を継いで9第守護となりました。

1496年城田寺の戦い

元頼と利光は再挙を図るが再び敗れ自害しました。

美濃最大の下剋上、斎藤道三については次回見ていきます。