歴史

鷺と鷺田地名

2019.06.16(日)

(紙版ミニコミ:第139号 H30.8発行)

鷺と鷺田地名

瑞穂市南部は鷺田郷だった

現在の瑞穂市呂久、中宮、古橋、横屋、宝江は明治30年から昭和29年まで鷺田村と言われていました。

鷺田村は平安時代の頃に鷺田郷と呼ばれる村だったことにちなんでつけられた地名です。

瑞穂市の合併の流れ

旧村名と現在地名

鷺の付く地名由来

全国には「鷺」の付く地名が多く見られます。

岐阜市にある「鷺山」をはじめ、鷺宮・鷺沼・鷺浦・鷺島・鷺ノ森・・・・これらの多くは鳥の鷺に由来していると思われ、鷺が多く生息している地域であると想像されます。私たちの地域はまさに「田んぼに鷺のいる風景」が当たり前にあり、なじみ深いものです。

土を起こした後にでてくるミミズ等をねらって、トラクターのすぐ後ろをついて歩く鷺の姿をよく見かけます。

このように、私たちの地域はまさに「田んぼに鷺のいる風景」が当たり前にあり、なじみ深いものです。

多分鷺が田に居る風景は稲作が始まって以来何千年と変わらない風景であり、鷺田と言う地名はこの地にふさわしいものであったと思えます。

古代日本人は鷺などの鳥をどのようなものとして考えていたのでしょうか。

古代人の鳥信仰についてはさまざまな説がありますが、それを簡潔にまとめると次のようになると思います。

古代人と鳥信仰

自由に空を飛び、渡り鳥は決まった時期に訪れては去っていく事から古代の人は鳥を自分たちの世界と異なった世界を行き来できるものと考えていたようです。

そして鳥は魂を運ぶ神の使いと考えられ、田に飛来する鷺は穀物の霊を運ぶとされました。

 日本の至る所に鳥の伝説が残っている事や、鳥形の祭祀用道具、鳥形の埴輪が出土している事で、鳥は神聖化されていくようになったことがわかります。

白鳥伝説

日本武尊が伊吹山征伐で荒ぶる神に破れ、傷つき大和へ帰る途中力尽きて白鳥となって飛んで行く神話(古事記・日本書紀)は鳥が霊を運ぶ考えを表す代表的なものです。

※この場合、白鳥はハクチョウを表すのではなく、白い鳥の意味でツル・コウノトリ・サギなどを含むそうで白は純粋・真正な意味を持っています。

呂久と白鳥神社

創建512~538年頃と伝わる日本武尊とその妃弟橘媛を祭神とするこの神社はその後洪水でわからなくなりました。

「本巣郡志」によると日本武尊が伊吹山征伐のおり、八神・墨俣・呂久・加納・白鳥・片山・梅谷を通ったことから1492年呂久にあった神社に奉祀されたそうです。

呂久の蓮正寺

「巣南町史」によると真宗の道場として創建された鷺休坊を起源とするとあり、また「本巣郡志」には当時村名が鷺休村だったことから鷺休坊と命名したとあります。

「鷺が休む村」が呂久の地名由来だとしたら、この地域と鷺の深い関わりの歴史が見えてきて面白いですね。

※呂久の地名由来については六社明神から等、さまざまな説があります。

このように古くから私たちの地域と鷺は深い関わりがあり、ただ単に鷺が田に居たと言うだけでなく、その鷺を神の使いと見ていた事を考えてあらためて鷺田という地名を考えると、その地名が失われた事は少し残念ですが、揖斐川にかかる橋、鷺田橋の名前を大切に残していきたいものです。

瑞穂市呂久は中山道美江寺宿と赤坂宿の間で呂久川(現揖斐川)の渡しがあった所です。大正時代の揖斐川の改修により現瑞穂市でありながら揖斐川を挟んだ対岸の地となってしまったところです。

次回は揖斐川改修後の呂久地区の生活の苦労から鷺田橋が出来るまでについて見ていきます。

呂久の渡しが鷺田橋になるまでへ