歴史

美濃土岐氏のルーツ

2020.05.29(金)

美濃土岐氏と清和源氏

清和天皇から美濃土岐氏への系図

第56代 清和天皇

      ↓

    貞純親王

      ↓

経基が「臣籍降下」により源姓を下賜される

源氏経基
 満仲
 頼光
 頼国
 国房
 光国
 光信
 光基
土岐氏? 光衡

『美濃源氏土岐氏主流累代史全』より

頼光の頃より美濃守として美濃国に深い関係を持っていきます。

国房が美濃国厚見郡茜部地方(現 岐阜市茜部)に土着し、しだいに土岐郡に本拠を移し、光衡の時、姓を源氏から「土岐氏」に改めました。

※いつから「土岐氏」を名乗ったかについては異説あり。

初代土岐氏 光衡

(生年 平安後期~鎌倉初期)

鎌倉時代に光衡が御家人となり、室町時代には代々美濃守護として「土岐氏」が美濃国を治めました。

臣籍降下

皇族には戸籍がないため、皇族を離れる皇子たちに戸籍(姓)を与え、臣下にすることを「臣籍降下」と言います。

天皇の子孫をすべて皇族とすると、皇族の数がどんどん増え、財政が破綻してしまうため、第〇皇子以降は臣籍降下をしました。(時代によって〇は違った)

あるいは自ら皇族を離れる事を願い出た者もありました。

清和源氏とは

清和天皇の皇子・孫で源姓を名乗った子孫が各地に広がり、武士として活躍したため、他の天皇の系列の源氏と区別するため「清和源氏」と言われます。

源氏と平氏

天皇により下賜する姓が決まっており、平安時代多くが源氏・平氏でした。

なかでも清和源氏と桓武平氏は日本歴史の表舞台で活躍しました。

清和源氏の流れをくむ武士

桓武平氏の流れをくむ武士

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