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(紙版ミニコミ:第48.49号 H23.1.2発行)
明治30年の合併前に存在した村名は現在も瑞穂市〇〇、本巣市〇〇と字名でそのまま引き継がれています。一方真桑・弾正・鷺田・船木・川崎・巣南・真正の地名は村名、町名としては消えてしまいました。
しかし、真桑・弾正・船木・川崎は平安頃からこの地域に存在した荘園名であり、鷺田は鷺田郷と呼ばれる村でした。
地名としては失われてしまいましたが、この地域に住む私たちが忘れてはならない歴史のあるものです。
奈良時代、律令制によって農民には口分田が与えられていました。しかし、税が重いため逃げる農民が増えたり、一方では人口が増加し、田を与えることが出来なくなって制度が崩れます。
そして、力のある者が農民を使って開墾して自分の私有地とする事が全国に広まっていきました。その私有地を「荘園」と言います。
この荘園を守るために「武士」が生まれました。
荘園の時代、田を所有していた名主の名前が地名になった。(真正町史)
平安の頃からこのあたりに七崎郷が存在したことが由来。
「唐國明神」が鎮座した場所でなまったものか?。
今の南宮大社の領地であったことから宮の田で宮田。
源頼朝が上洛の途中、この地に泊まり、池に映った満月を見て「この地を大月とせよ」として名付けたと伝えられる。
古地図や文献には「六」とあり、「六社明神」あるいは何か「六」という数に関係があるのか?。
宮田の下(南)にあるので本来は下宮。しかし安八郡神戸町にすでに下宮の地名があったため、中宮とした。
揖斐郡に福島の地名が存在するため、下福島と改称。
クラは神の居留された座地の意で天皇の命により倭姫がこの地に4年滞在したとの伝説の地。
古くは「守」と書く。日本書紀に天皇の皇子を美濃に封じて、その子孫が「守君のはじまりここなるべし」(新撰美濃志)
宮田の上(北)にあるから田ノ上。
条里制十四条であったところ。鎌倉のころから十四条郷が存在し八幡神社はかつて十四条、十五条、十六条、十七条、十八条、十九条の総社として栄えた。
十五条と三日市場が合併したため、条里制の「里」を2つ合わせた事による。
本来は十六条。寺号により呼ばれるようになった。
室町の頃、十七条郷が存在。春日局の夫だった稲葉正成はここ十七条城で生まれ、十七条一万石を所領していた。
鎌倉の頃から、十八条郷が存在。そのころは京都醍醐寺の領地。
古橋庄は摂政関白家など、身分の高い中央の公家が領地としていた荘園。
もとは古橋村のうちであったため、分離したことによる地名かと思われる。
新たに開墾された新田に対し、もとからあった田で本田か。伝説ではこの地に座した糞田明神、あるいは誉田明神がフンデン、ホンデンとなまったものとある。
※参考資料 岐阜県の地名・新撰美濃志・真正町史・本巣郡志・角川日本大地名事典・巣南町史・穂積町史・ぬくもりの地名考ほか
巣南は本巣の一番南の意味で昭和22年巣南中学校が創立され、合併時に村の名前にもなりました。
昭和30年巣南町となり、平成15年穂積町と合併して巣南という地名も過去のものになってしまいます。
次回は鷺田の地名由来を見ていきます。
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