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日本大正村は1886年、岐阜県恵那市明知町に立村された大正時代のテーマパークです。
町全体が大正の雰囲気を色濃く残しており、私のような世代には懐かしさを、若い世代の人達には「はいからさんが通る」の世界観を味わえます。
また、明智光秀ゆかりの地として、村内の大正ロマン館で「麒麟がくる ぎふ恵那 大河ドラマ館」が開かれていると言う事で、今までに何度か訪れている場所ではありましたが再訪してきました。
これで岐阜県で開催されている大河ドラマ館(岐阜市・可児市・恵那市)のすべてを制覇しました\(^o^)/
大正村を巡る拠点、案内所もありここで散策プランを練ります。
大正村町散策、明智城趾への山登り、大正ロマン館で開催されている大河ドラマ館、落合砦の明智光秀産湯の井戸を巡ってきました。
大正村駐車場にあるお土産屋さんとトイレもレトロ
明治39年築、国の登録有形文化財
明治42年築の西棟と大正7年築の東棟は旧濃明銀行の繭蔵でした。
明治から昭和にかけて日本各地で養蚕業が盛んでしたが、明智町も養蚕・製糸業で栄え、ここで多くの取引が行われたため、預かったり買い取ったりした繭をこの蔵に収納していたそうです。
向かって左が中馬街道沿い「うかれ横丁」、右が南北街道
中馬街道は伊那と名古屋を最短で結び、南北街道(飛騨街道)は中山道中津川宿と飛騨を結ぶ道です。
大正ロマン館1Fで「大河ドラマ館」が、2Fは「東京オリンピック展」が開催されています。
建物の周囲やエントランスに馬防柵が張り巡らされており、戦国時代を彷彿とさせます。
1688年に普請されたと伝えられる明智町指定文化財
かやぶき屋根が山間にマッチして素敵です
標高530m程の山の上に築かれた明知城趾へと山登り。大正ロマン館の裏手に旧三宅家、その裏にある山を登るのですが、大正ロマン館がすでにかなり高い所に位置しているため、城跡まで思ったよりも近く感じました。
城山への登り口
山を登り始めてしばらくすると天神神社と光秀が学んだとされる場所があります。
案内板より
「この天神社には光秀幼少の折り、京都嵯峨天龍寺の学僧を招いて学んだ学問所であったと伝えられています」
山の斜面に上下方向に設けた堀で敵が横に移動するのを阻止する
案内板要約
城内に水源が無く、1km離れた水源から樋を利用して導水した痕跡があり、池を2つに分けて砂や石の天然のろ過機能を巧みに利用したと伝わる
堀を掘る時一部だけ残して橋としたもの
お城から飛び出た所に作られた曲輪で、見張り、防御、攻撃の役割を果たします
切岸は斜面を削り落として作った崖。
腰曲輪は三の丸ともいい、武田勢を丸太や石を落として防いだところと伝えられている。
腰曲輪は防御のため本丸や主要な曲輪の周りに配置されたもの。
本城から張り出して設けられた曲輪に続く狭い出入り口
本丸は城の中核で最終拠点
千畳敷公園内にある明智光秀が産湯をつかったとされる井戸
明知城が築城されたころ、城から西南の方角にある千畳敷台地に落合砦(多羅砦)が築かれて、明智光秀はここで誕生したという伝説が残っています。
大正時代、戦国時代と思いを馳せながらの楽しい一日でした。